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浦和家庭裁判所越谷支部 昭和50年(家)84号 審判

主文

申立人らは、相手方に対し、事件本人両名を昭和五一年一二月二五日午後一時、申立人らの選択により申立人らの住所または相手方の住所のいずれかで引渡せ。

申立人らは、昭和五一年七月中に一回、浦和家庭裁判所調査官磯部恭三または同調査官を代理する同裁判所調査官の指示する場所において、その指示する時刻から時刻までの間、事件本人両名を相手方およびその妻瑞恵(以下、単に相手方らという)と面接させよ。

申立人らは、事件本人両名の昭和五一年夏期休暇中、少くとも三回、一回につき連続して七二時間以上事件本人両名を相手方らの住所または相手方らの希望する場所に宿泊させて相手方らと面接させよ。

申立人らは、昭和五一年九月以降事件本人両名を引渡すまでの間、毎月少くとも二回、一回につき連続して二四時間以上事件本人両名を相手方らの住所または相手方らの希望する場所に宿泊させて相手方らと面接させよ。

申立人らの本件申立を却下する。

理由

一  申立人深野茂、同深野智子は、自己らを事件本人両名の監護者と定めることを求め(昭和四八年(家イ)第六七、六八号調停事件)、相手方大村芳雄は、申立人両名からの事件本人両名の引渡しを求め(昭和四八年(家イ)第二五八、三四八号)たが、互いに他の申立に応じないため両事件とも調停不成立となり審判に移行した。

二  当裁判所の調査の結果によれば、以下の事実が認められる。

(1)  事件本人両名は、相手方と申立人両名の養女であつた亡深野幸子との間の嫡出子であり、現在相手方の妻大村瑞恵の養女である。

(2)  申立人茂は○○医科大学を卒業して医師となり、肩書住所において内科、小児科、眼科の医院を営んでいるものであり、申立人智子はその妻であるが、申立人両名は、昭和三七年五月一日申立人智子の妹幸子との間に養子縁組をして幸子を養女に迎え肩書住所で同居していた。

相手方は○○大学専門部を卒業して○○○○院に勤める国家公務員であり、上司の紹介によつて申立人らの養女幸子と見合いのうえ、昭和四〇年三月結婚式を挙げて同女とともに申立人ら方に同居し、同年一〇月二五日妻の氏である深野姓を称することとして婚姻の届出をし、昭和四一年一月二二日事件本人である長女香を、昭和四三年七月二六日同二女麻実をもうけたが、妻幸子は二女麻実を出産後同日間もなく死亡した。

(3)  相手方は実質的には申立人両名の養子的存在であり、妻子ともども申立人両名方に同居し、自己の個人的必要経費のほかは殆んど申立人らの援助を受け、申立人ら家族の一員として互いに円満な生活を送り、妻幸子死亡後もそのまま申立人らのもとに同居し、事件本人両名の養育費として一か月二〇、〇〇〇円ないし三五、〇〇〇円を申立人らに渡すことにしたものの、同人らに事件本人らの日常の世話を依頼して同人らとは従前同様の生活を送つていた。

ところが、昭和四六年一二月下旬ころに至り、相手方が申立人らに対し、再婚をして申立人ら方を出て生活する意思であることを伝えたことから、これを快く思わない申立人らとの仲が険悪となり、申立人らは昭和四七年一月以降相手方が提供する事件本人両名の養育費の受領をも拒絶し、相手方は申立人ら方にいたたまれず、後日再婚して事件本人らを手許におき監護養育ができる条件を整えたうえ事件本人らを引取るべく、昭和四七年三月とりあえず事件本人らを申立人ら方に残し単身申立人ら方を出た。

その後、相手方は現在の妻瑞恵との間に、結婚のあかつきには相手方とともに事件本人らを膝下においてその監護養育をしてくれることの了解を得て同女と婚約する一方、申立人らとの間に事件本人らの引取りにつき再三交渉を重ねたが、ついに申立人らの了解するところとならず、昭和四七年一二月一二日付の書簡をもつて申立人らに対し、自己の復氏、姻族関係の終了、事件本人らの氏の変更手続をする旨を通知するとともに事件本人らの引渡しを求めたのち、同月一八日自己の氏を婚姻前の氏大村に復する届出、亡妻幸子の親族との姻族関係終了の届出をし、ついで昭和四八年二月二六日事件本人らの氏を自己の氏大村に変更する届出をして事件本人らを自己の戸籍に入籍し、同年三月一八日現在の妻瑞恵と婚姻するとともに、瑞恵と事件本人らとの養子縁組を代諾してその養子縁組がととのい同日その旨の届出を了した。

(4)  相手方の妻瑞恵は昭和五年九月一七日生れで、兵庫県内の旧制高等女学校を卒業後○○○○組合や○○組合に勤務したが、相手方と婚姻する約一年前に職を辞し、見合いのうえ上記のとおり相手方と婚姻した。同女は初婚であり、婚姻後子宮筋腫の手術を受けたことで将来妊娠する可能性はない。

(5)  相手方は、申立人ら方を出たのちも、毎月二回ないし一回くらいの割合いで申立人ら方を訪れ、事件本人らとの接触を保つことにつとめ、瑞恵と婚姻後は将来事件本人らを情緒的に無理のない形で引取るべく、その時に備えて瑞恵と事件本人らをなじませるため同女とともに毎週日曜日ごとに申立人ら方に出向き事件本人らとの接触を保とうと試みたが、申立人らのいれるところとならず、そのつど申立人らに事前連絡をとりその了解を得ることを余儀なくされ、その結果月一回くらいの割合いで申立人ら方に赴き、事件本人らと接触していたが、事件本人らは相手方や瑞恵(以下、単に相手方らという)に対しうちとけた態度で接し、格別抵抗を示すようなことはなかつた。

しかし、すでに昭和四八年三月一三日には申立人らから上記監護者指定の調停申立がなされており、その後相手方が事件本人らの通学する小学校側において事件本人らの氏を「深野」のままに扱つており、学校側は地区の有力者である申立人らの肩をもつているものと考えて立腹し、学校を訪ねて校長その他の教師と口論したこともあり、同年八月ころからは相手方らに対する事件本人らの態度にどことなくなじめない様子があらわれるようになつた。申立人らにおいても、相手方らが同年九月事件本人らを相手方の母の法事や墓参に同伴することを一旦は了承しながら、当日相手方らが折角事件本人らを申立人ら方まで迎えに行つたのに、これを拒絶するという態度を示すようになり、その後相手方は同年一〇月二日上記幼児引渡しの調停申立をするに至つた。

それでも、相手方らは昭和四九年四月までは毎月一回ぐらいの割合いで事件本人らに与える絵本などを持参して申立人ら方を訪ね、事件本人らと面接を続け、相手方はその後申立人らの態度にいや気がさして申立人ら方を訪ねることをやめたが、瑞恵だけは事件本人らと面接するためその後も毎月一回ずつ申立人ら方を訪ねてきた。

なお、昭和四九年四月三〇日の本件調停期日において、当事者双方は相手方らが事件本人らの同年夏期休暇中事件本人らを相手方の方で試験的に引取り、相手方らとの生活の様子をみてみるとの合意に達したが、結局は申立人らがこれに応じなかつたため折角の合意も実現しないで終つた。

(6)  申立人茂の月収は一〇〇万円以上であり、申立人らは約四六二平方メートルの敷地の上に診察室のほか、八畳、六畳(二間)、四・五畳、三畳の各和室と八畳の洋室のある木造平家建居宅を構え、これに申立人ら夫婦、事件本人両名、申立人智子の妹で亡幸子の姉にあたる中原美江子が居住し、そのうち事件本人らの勉強部屋として八畳の洋室をあて、なお事件本人らの寝室として中原美江子と共同で六畳の和室をあてている。

一方相手方の月収は昭和五〇年一一月当時一四万七、〇〇〇円であり、相手方らは六畳と四畳半各二間のいわゆる四DKとなつている鉄筋コンクリート造五階建の公務員住宅の二階に両名のみで居住し、事件本人らの居室として南側の六畳間一室をあてることを予定している。

(7)  事件本人らは現在いずれも小学生であるが、出生以来今日まで申立人ら方に同居し、申立人らおよび中原美江子の庇護のもとに成育し、同人らになつき同人らとの間に円満な共同生活を送り、情緒的安定がみられるのに反し、相手方とは、相手方が申立人らの養子的存在であり、申立人ら方に事件本人らの面倒をみる手が多くあつたうえ、相手方が勤め人であつた関係等から、相手方が事件本人らと同居していた期間中においても比較的父子の接触の時間に恵まれず、まして、事件本人らと別居後は、申立人らにおいて事件本人らに対し、相手方を事件本人の父親として認めさせないようなしつけ方をとり(事件本人香は浦和家庭裁判所調査官に対し、相手方を「ほんとうのお父さんではないそうです。」と述べている。)、事件本人らに相手方との接触を避けさせてきたことの結果、両者の間には親子としての情緒的結合が極めて稀薄となり、相手方らにおいて事件本人らとの健全な親子感情の醸成を強く希求し、それなりに努力をはらおうとしているにもかかわらず現在のところ事件本人らは申立人らのもとで従前どおり養育されることを希望し、相手方らのもとに引取られることに反対している。

なお、事件本人香は排尿異常がみられ、強情でわがままな性格の持主であり、同麻実は人なつこく誰にでも好かれる性質であるが、小児ぜん息の持病があり、これらの特性を十分理解したうえでないと、健全な育成は期待できない。

三  当裁判所の判断

未成年の子に対する身上監護権は親権に包含されるものである。従つて親の親権が存続する以上、その親がこれを有し、かつ行使すべきものであり、親権者の意思に委ねられているものであるから、家庭裁判所が親権者の意思に反して子の親でない第三者を監護者と定めることは、親権者をして監護権を行使させることが子の福祉を不当に著しく阻害することになるような特段の事情が認められない限り、親権を侵害するものであつて許されないと解すべきである。従つてまた、親権者が子の親でない第三者にその子の監護を委ねることも養育委託契約として可能であるが、この契約は委任に準ずるものと解されるから、契約当事者はいつでもこれを一方的に解除できる性質のものである。従つて委任者たる親権者が受任者たる第三者に対し、この契約解除の意思表示をした以上、これをもつて養育委託契約は終了し、上記のような特段の事情が認められない限り、受任者は家庭裁判所に対し、解除された子らの監護者となることの審判を求めることは許されず、委任者に対し子の引渡しをすべきものである。

ところで、本件についてこれをみるのに、相手方は実親として、また相手方の妻瑞恵は養親として共に事件本人らの親権者であるのに反し、申立人らは事件本人らの祖父母であつて、上記の関係においては親以外の第三者である。そして、上記認定の事実によれば、親権者たる相手方が昭和四七年三月事件本人らを残して申立人ら方を出た時点において、ことの性質上、相手方は申立人らに対し事件本人らの養育を委託し、申立人らにおいてもこれを承諾し、ここに両者間において事件本人らの養育委託契約が成立したものと解されるが、その後少くとも相手方からの上記幼児引渡しの調停申立をしたことによつて、相手方は申立人らに対し、上記養育委託契約を解除する旨の意思表示をしたものと認められ、これをもつて同契約は終了したものと解される。そして、相手方が申立人らから事件本人らの引渡しを受け監護権を行使することが事件本人らの福祉を不当に著しく阻害することとなるような特段の事情も認めがたい。

なるほど、現時点においては、事件本人らと申立人らとの間には情緒的安定がみられ、一方相手方らとの間にはこれを欠いているが、それは、相手方らの態度に起因するというよりも、申立人らが養女を失つた今、折角自己らの後継者として育ててきた孫だけは手放したくないという一心から、まだ自己の境遇を正しく認識し、将来の自己の生活を予測して適切な判断ができる能力を備えていない幼い事件本人らに対し、日ごろ、相手方を事件本人らにとつてこわい存在であり、父親ではないとしつけてきた結果であるといわさるをえない。およそ子は親を親とし親と共に生活することこそ子の幸せというべく、自己らの親を親ではないと教えられ、親を親と思えない心境においやられるということは誠に異常であり、不幸である。上記のような能力のない事件本人らにとつて、相手方に父親としての欠点が仮りにあつたとしても、相手方がその良き父であると感得理解させることが事件本人らの健全な成長にとつて何よりも肝要なことである。真に事件本人らの将来の幸福を希うならば、いやしくも事件本人らの祖父母たる申立人らにおいてこのような理解を深めさせるべく努力すべきものであり、これを阻害するような態度に出るべきものではない。ところが、申立人らは、事件本人らとの失われようとする親子の情愛をなんとか回復しようと努力する相手方の心情を無視し、事件本人らをして自己の父を父とも考えないような心情を醸成させてしまつたものであり、その責任は重大である。このことは、現時点においては申立人らのもとで生活していることにより一見事件本人らの情緒的安定が保たれ、事件本人らが幸せであるかのようにみえても、事件本人らの長い将来を考えた場合、人間性の理解に妨げとなるものというべきであつて、事件本人らをこのまま申立人らのもとに置くことは、かえつて事件本人らの福祉にとり不適当である。相手方は申立人らにとつて好ましい婿ではなかつたとしても、勤め人である一般家庭の父親に比し、親としての資格にさほど欠けるところがあるものとは認めがたい。なお、事件本人らの事件各申立に対する意思は上記のとおりであるが、同人らの年令にてらすと、同人らはまだ自己の境遇を正しく認識し、将来の自己の生活を予測して適切な判断をなしうる能力があるものとは認められないから、事件本人らの上記意思は本件各申立の当否を判断するにつき重要ではない。

そうしてみると、自己らを事件本人らに対する監護者と定める旨の申立人らの本件申立は失当であるからこれを却下することとし、申立人らに対し事件本人らの引渡しを求める相手方の本件申立は相当であるからこれを認容することとするが、現時点における事件本人らの当事者双方に対する情緒的安定度を考えると、今直ちに事件本人らを申立人らから相手方に引渡させることとするのは、いたずらに事件本人らの感情をしげきし、事件本人らの健全な成長に支障をきたすことが懸念されるので、事件本人らの相手方に対する現在の偏頗な認識を徐徐にあらためさせ、相手方らとの間に自然の親子の情愛が芽ばえ情緒的安定が醸成されることをはかりつつ、円滑な引渡しを期するのが相当である。そこで、当裁判所は、事件本人らの引渡しの時期、方法につき調整を施こすべきものとし、主文のとおり審判する。

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